答えの出口
10年くらいずっと考えていたことがある。
将来自分は何をやりたいのか?何を目指していきたいのか?
大枠の答えは学校を卒業し、造形屋で働いていくうちに、自分の作品をつくり個展をしたいという答えが出た。
ただ問題はそこからで、じゃあ具体的に何をつくりたいのか、自分の作品を発表して世の中に何を伝えていきたいのかという、作品作りの『核』となるものの答えをずっと探していた。
当時勤めていた先のボスからは、つくりたいものが定まらないのはまだまだ見足りないから。
もっとたくさん見ていくうちに、定まってくるよ、そう言われた。
だから私は国内海外の作家さんの作品、に限らずきれいなものから気持ち悪いもの、おもしろいものたくさん見た。
材料を買い揃えて自分に合ってるものはこれかな?と色々つくってみたり、体験教室に行ったりもした。
それでも答えが出なかったのは、色々と未熟だったんだろうと今ならわかる。
作品というのは形のあるものないものに関わらず、制作者の"想い"というのが詰まっている。
その"想い"は様々な経験をした結果の産物だと私は思う。
社会も知らない21歳の小娘が、薄っぺらい"想い"を作品に込められるわけがない。
と偉そうに語ってみる。
で、その答えが出た。今朝。通勤電車の中で。
そして私は今、この気持ちを忘れないうちに1秒でも早く記録に残しておきたく、仕事をサボってこのブログを書いている。
答えが出たきっかけは8/15ELLEGERDEN@ZOZOマリン。
行ってないけど。チケットなくて行けなかったけど。
理由のひとつは、今回みたいにどうしても行きたいライブがあって、それが大好きなバンドの復活ライブ、解散ライブ、フジロックetc…
仕事の都合で行けなかったら!?やだ!
もうひとつは彼らの曲を久しぶりにたくさん聞いて、若いときに持っていた熱い気持ちを思い出した。
mixiのやんちゃしてた頃の日記を何度も読み直した。
そんなに好きでもなかったジターバグがぐっときた。
遠回りすることも時には大事だ。
一応今の仕事は自分がやりたくて選んだもので、それなりに仕事は楽しい。
この春くらいからやっとそう思えるようになった。
もちろん嫌なこともある。
だけど今の働き方、つまり組織に属して働くということにずっとしっくりこない気持ち悪さを感じていた。
毎朝同じ時間に起き、電車に乗り、会社に出社して働く。
右に倣えの日本で、トップダウンの組織の中、自分を押し殺して、従順な社員のふりをして働いてきたけど、やっぱり無理。
昔から集団行動できない人間。
無理だから占いに相談したりもした。
そういう決まりだから
それが常識だから
普通は普通は普通は…
私が大嫌いな言葉。
アインシュタインの言葉に
『常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう』
私が大好きな言葉。
でも無駄だとは思っていない。
この経験も私に必要だった。
この仕事をしてたから、答えを出すことに繋がった。
小さい頃から絵を描くのが好きだった。
それなりに周りからも評価されていた。
手先の器用さも加わり、創作することをずっと楽しんでいた。
自惚れていたのかもしれない。
高校に入ったら自分より絵の上手い人がたくさんいて、自分の実力の低さにようやく気がついた。
それからは前みたいにあまり絵を描かなくなった。
でも自分のベースはやっぱり創作にあるし、人から与えられたものをつくるのは嫌だし、人から管理もされたくない。
自分のつくりたいもの伝えたいものを、自分のペースで満足のいく形で、つくっていきたい。
本当は今すぐ始めたいけど、色々と準備も必要なので本格的に始動するのは来年の春。
色々と計画を立てなくちゃ。
何を始めるのかはまだ秘密。
人生に無駄なことなどない。
全て今の自分にとって必要なことだから在るのであって、そのことに気づかないといつまでも同じことの繰り返しになる。
なぜ、自分が今この状況に置かれているのか、よく考えてみると良い。
でも気がつくときって、大体事が収拾してから
《あのときのあのことって、こういうことだったんだ》
という気づきになるからなかなかわからないんだよね。
不安はある。
だけどそれ以上にワクワクのほうが楽しい。
自分のやろうとしていることにワクワクするかしないかが大事だと、かれこれ3年くらい読んでいるブログの人も言っていた。
こんなことを言ってると、世の中そんなに甘くないよなんて言ってくる人間が一定数いるが
うるせえな、私の人生なんだからほっとけよ。
そんな気持ちだ。