人生なんとかなる

音楽と自然と生き物をこよなく愛するのんびり屋の私が、日々気になったことを書き綴るブログ

適応障害になってからのその後

2018年の10月、私は苦しみのどん底にいた。
徐々に夜眠れなくなり、理解力が乏しくなり、本が読めなくなった。
注意力が散漫し、単純なミスが続いた。以前はできていたことができなくなった。
ごはんがおいしくない。涙が出る。
どんどん散らかっていく部屋、暴言を吐いて親を泣かせ兄弟と喧嘩する。
朝起きたら泣いてた。布団から出れなかった。


診断書でもあれば会社辞められるかなって思ってたら現実になった。
正直ほっとした。
申告後症状は1か月程で治まった。だけどなんだかんだ半年くらいは引きずったっぽい。


仕事は楽しかったし好きだった。
営業としてノルマに追われる日々は全然好きじゃなかった。
最後まで会社の雰囲気、違和感に馴染めなかった。
ずっと偽りの自分を演じてた。
そうしないとこの会社で生き残れないと思ってたから。

常識とはあなただけのもの、業界だけのもの。
いろんな仕事があっていろんな人がいて、世の中のお金は回っている。
これが好き、これは嫌い、これは苦手、これは得意。
かなり狭い世界で生きてたんだなと、いろいろと学ばせてもらったし気づきも多くあり感謝はしている。


これからどう生きたら自分らしく生きられるかななんて考えながら、ゆるゆるリハビリ生活してる。


会社辞めたら絶対にやりたかったことがあった。ぜんぶできた。

・1泊以上の旅行に行く(2月に3泊4日で北海道に行った)

・ディズニーランドに行く(公式ホテルに泊まった)

・親知らず全部抜く(2週に分けて左右ずつ上下抜いた、めっちゃ痛かった)

フジロックに前夜祭から3日間フル参加する(最終日遊びすぎて二日酔いで運転代わってもらった)

・好きな服着る(数年ぶりに古着買ったりした)

・ネイルする


ちょっとずるずるしちゃってるなと思って環境変えようと思って、派遣のコールセンターを辞めた。
立て直し期間だけ小休憩しようと思ってただけのところ。
すぐ辞めるつもりで誰とも関わらないようにしようとしてた。
9ヶ月もいた。挨拶用に1袋20個入りくらいのトリュフチョコ、1袋じゃ足りなくてもう1袋買い足した。全部配りきった。
おいしかったと評判だった。

そのままの自分でいただけなのに、惜しんでくれる人がいて、餞別までいただいて、
ただひたすらに”ありがたいなあ”という気持ちでいっぱい。

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いただいた品たち



コールセンターにはいろんな人がいた。
ちょっと休憩しにきてる人、音楽やってる人、役者やってる人、先生やってる人、ダンスやってる人、絵描いてる人、資格試験の勉強してる人etc...
いろんな生き方があるんだなって知った。
またちょっと考え方が変わったかもしれない。


市場を変えたら案外結果出せて、重宝してもらって、お手本にされてた。

まだ少し、どう生きていくか考えたい。